Story

絵を描くのが大好きだった子供の頃
「幼稚園で一番スケッチブックを使ったのよ」と母に言われたことを覚えています。
その頃から漠然と「何かを作る人になりたい」と思っていました。
その後、古い建築物への興味から建築を学んだのも、その「何かを作る人」への思いがあったからかもしれません。
30歳を目前にした頃もまだ「何か」はわからず
それならば人生で一つくらいやってみたかったことをやってみよう!と思い立ち
「ヨーロッパに住んでみたい」そんな何の足しになるのかわからない
やってみたかったことを叶えるため、仕事を辞め単身南イタリアの語学学校へ。

語学を学ぶのになぜ南イタリアだったのか。当時よく聞かれました。
なぜ?それは海があるから。
海のそばで生まれ育った私にとって、別に泳ぐわけでもなく、家から海が見えるわけではないのですが海があるということは大事なことなのです。

彫金を学ぶと決めたのは、南イタリアのとある宝飾店のショーウィンドウを見たことがきっかけでした。
そこに飾られていたのは自由で大胆、日本ではあまり見かけないデザインのジュエリーばかり。
欲しいデザインのジュエリーになかなか出会えないなら、自分で作ってみればいい
そんな単純な理由から彫金学校に通うことを決めフィレンツェへ。


イタリアのジュエリーというと伝統的な細工が施された、フィレンツェ彫りを思い浮かべる方も多いかと思います。
日本で彫金を学んだことのない私にとってフィレンツェは、ジュエリー制作の基礎を学んだ場所です。
先生とはいっても皆、職人の傍ら先生もやっている個性派揃い。
よく言われたのが「precizo! 正確に!」「piano,piano! ゆっくり、ゆっくりね」
正確に、慎重に。
今でも焦って作業しようとすると声が聞こえる気がします。
その学校で出会った日本人の友人いわく、イタリアと日本の製作工程はまるで違い、日本ではもっと精密さが求められるそう。
イタリアは経験や勘がものを言う、といった個性派職人気質みたいな感じでしょうか。
職人気質といっても厳しいものではなく、仕上がった作品の味わい深さ、人の手で作られたのだな、と感じる素晴らしさ。
日本で学んだことがないということが私にはプラスだったのかもしれません。

次にモダンで自由な発想の物作りを学ぶべくローマの彫金学校へ。
ローマは程よく都会で、外国人も多く、私にとって過ごしやすい街でした。
今でも鮮明に思い出せる古い建築物の美しさ。
バチカンの石壁に掘られた天使のほっぺの、触るとぷにっとするのではないかと思うような、その質感。
外観の完成された美しさと、切り取った一部分の強い印象。
部屋から外に出れば街中が美術館のような街並み。
それらの形、シルエット、そんな形への興味がSOLITOのジュエリーデザインの原点かもしれません。
現在のSOLITOのデザインに最も影響を与えた場所であると言えます。

帰国後「SOLITO」をスタート。
今に至るまでSOLITOらしさとは何か?を模索しながら
常に自分の「好き」を大切にジュエリーを作り続けています。
流行っているから、ではなく好きだからずっと使い続けられるものを。
SOLITOのジュエリーがあなたにとっての「いつもの」になりますように。
SOLITO
須田芽衣
